今日は「視る能力」について
お話してみたいと思います。
スピやアニマルコミュニケーション(AC)で使うこの「視る能力」
これは肉眼で見ているわけではありません。
ガツガツ何でも見えているようにみえる
江原さんでも肉眼では見ていないと
言っています。
昔、江原さんがテレビで
「どんな風に幽霊が見えているのですか?」
と質問をされて
「バナナです」
と答えられていました。
それには続きがあって
「今、私がバナナって言ったら
バナナを思い浮かべたでしょ?
そういう風に見えています。」
とおっしゃられていました。
私が講座などでこの「視る」について
説明するときには
「人に道案内をするときと同じ感覚」
とお伝えしています。
最寄りの駅に今着いたので
おうちまでの道順を教えてください
と言われたら、皆さんはきっとお相手に
「目印」になるものを教えてあげると思います。
突き当りを右に曲がると
左手にセブンイレブンがあって
とか
2つ目の交差点を右に曲がってください
とか
コンビニとか信号機を頭に思い浮かべながら
話していますよね。
そして大半の方はそのとき
目は開けていると思います。
最初から最後まで目をつむって
道案内している人ってまず見ないですよね(^^ゞ
その時視点は一箇所に固定されていて
キョロキョロもしていません。
目を開いているので肉眼の情報は
入ってきているはずですが
意識を集中してみているのは
思い浮かべているビジョンの方になります。
思い出話を語るときも
同じ感じです。
私達は気づかない間に
無意識にこの「視る」という能力を
使っているんです。
でもこれは「左脳」を使って「視る」を
やっている状態。
私達が「能力」として目指しているのは
「右脳」を使って「視る」
という状態です。
ここで大切になってくるのが
「興味」
になります。
右脳を使って「視る」場合
「見たいところしか見ることが出来ない」
という決まりがあります。
頭の中にスクリーンを用意して
あとは勝手に映画のように流れてくれて
それを眺めていれば良い
というわけではないのです。
「興味」=「好奇心」
でもあるので、普段の日常から「好奇心旺盛」の人の方が
「視る能力」はスキルアップしやすい傾向にあります。
十数年前
あるワークショップで
“未来のビジョン”を視るという
ワークをやったことがあります。
まず最初に体育館みたいなビジョンが
出てきたのですが
そこには私は全く興味が持てず
そうすると画面も止まったままになって
しまいました。
——————
あとからワークショップの先生に
「あ、その場面は見ましたよ。
あなたが体育館に集まっている人たちに
書類を配って何か説明会みたいなのを開いていました。」
と教えていただきました(^^ゞ
未だにそれが何なのかは不明で
今のところその出来事は起きてはいません(^^ゞ
—————
映像が止まったままで焦った私は
「違う場面が見たい!」
とミカエルにお願いしました。
すると空から街を見下ろす映像に変わり
一点めがけて地面に降りたのですが
そこは一戸建ての家のお庭でした。
将来私が住む家なのかな?と興味が湧き
門から玄関に続くお庭や
車庫に停めてある車を観察したり
結構夢中で見ていました。
このときお庭に赤いランドセルを背負った
お下げ髪の4-5年生くらいの女の子がいて
ちょっと悲しそうにうつむいていました。
「どうしたの?」と顔を下から覗き込もうとしたときに
ふいに背後から
「ただいま」
という声が聞こえました。
え?と振り返ったら
門の外で大人になっている息子が
笑顔で立っていました。
ワークをした当時、息子は小学生で
大人になったときの顔なんて
想像も出来なかったのですが
しっかりと大人になっていて
髪の毛もばっちり決めて
スーツを着ていました。
何よりその幸せそうな笑顔を見て
安心感みたいなものがこみ上げてきて
嬉しくて泣いてしまいました(^^ゞ
お庭にいた女の子は消えていて
家の中に入ってみると
一階建ての平屋で
一番奥にはダイニングがあって
そこでは私の両親が食事をしていました。
じゃぁ、今このようになっているのかというと
別になっていないのですが(^^ゞ
もしそうなったらまたここで
お知らせしますね。
でも言えることは
これらは明らかに自分の想像の世界では
なかったんですよね。
だって息子が大人になった顔って
自分でいくら頑張っても
想像できなかったし・・・
不意打ちに後ろから
声をかけられてるし・・・
これはまだまだこのお仕事を始める前のお話で
何にでも疑い深い私ですが
さすがに「視る能力」を感じることが出来た
という貴重な体験でした。
自分の想像に感動して
泣くってのも難しいですしね(^^ゞ
※今日のまとめ※
◆「視る能力」は肉眼で見ているのではない
◆右脳で「視る」ときは「興味を持つことが大切」=「好奇心が必要」