1972年1月・・・
福岡県飯塚市で
私は産声をあげました。
家族は、父、母、5つ上の姉
私は、割と小さい頃の記憶が鮮明です。
私の一番古い記憶は2歳の時。
病院で採血をされるとき
血管が細くて、
何度も、何度も針を刺されました。
でも不思議とそんなに痛みはなく
全然耐えれていました。
ところが、大人たちがどんどん
集まって来て
「かわいそうに」
「偉いね」
「頑張って」
など口々に声をかけてきました。
それを見て、それまで何も感じて
いなかったのですが、
私はかいわそうなのだ・・・と
思った瞬間、
「うわーん(>_<)」
と、声をあげて泣き出しました。
それが一番古い記憶。
3歳のころ。
「いくつ?」
と聞かれて、手で3歳と表現したいのですが、
親指と小指をくっつけるのが
とても難しく、
親指と人差し指でOKのサインを
作った方が速いことに気づきました。
でも、姉がそれを面白がり
ことあるごとに私に「いくつ?」と聞いて
親や他の大人に見せたがるのです。
言われるままに手をOKの形にして
見せていましたが、
心の中はとても不愉快でした。
でも当時、まだ思うようにスラスラと
言葉で返せなかったので
心の中で恨めしく思うだけでした。
不思議なことに、言葉が分からなくても
相手が何を考えているのかは
全部理解出来ていました。
今思えば、これがテレパシーなんでしょうね。
あの頃のようにスラスラ受け取れたら
どんなに良いかなと思います(^^ゞ
このことを覚えているので、
うちの子供が小さい頃から
「話せないだけで
実は全部分かってるのよね」
って思いながら接して育てました(^^ゞ
当時
私は「拍手」と「握手」の区別が
あまりついておらず
拍手…と心の中で言いながら
手がたくさんパチパチしている
ビジョンを思い浮かべて、
握手…と心の中で言いながら
手と手が握手をしている
ビジョンを思い浮かべて…
と一人で言葉の学習をしていたのも
覚えています。
極めつけの記憶はトイレです。
昔ながらのぼったん便所で、
数回落ちかけました(^^ゞ
そして、そのトイレに行く度に
私は誰かと話をしていました。
それは大人の男性と女性。
姿は見えず、いつも声だけ聞こえていました。
今思えば、アナウンサーばりに
滑舌がすごく良かったです。
年齢は20-30歳くらいかな?
時にはごっこ遊びもしてくれました。
とてもかわいがってもらってました。
これを読むと
「頭大丈夫?」
って思われるかもしれませんが・・・(^^ゞ
そして、「特別なこと」とも
思われるかもしれませんね。
ただ、このことって
今のお仕事を始めるまで
数十年間もの間
本気で忘れていました。
幼少期の記憶にはかなり
自信があったのですが、
このことは本当にすっかり忘れていたんです。
皆さんもきっと忘れているだけで
こういう経験があるのだと
私は思っています。
あ、結局トイレの人たちが何者なのか
未だに分かりませんが…(^^ゞ
色々なことを教えてもくれたし、
私への伝え方で
お二人が揉めてることも
ありました。
そして、幼少期。
私は一人で遊ぶことを好む子でした。
もちろん近所の子どもや、
姉と遊ぶことも
楽しかったのですが、
人と接することが
窮屈に感じることも多かったのです。
一番楽しかったのは
お庭で、地べたに這いつくばるようにして
小さな虫たちを観察すること。
ミミズや、昆虫、ムカデにヤスデが
私の一番大切なお友達でした。
母が当時、インコや十姉妹
リスや亀、うずら…といった動物を
沢山飼っていたので
それらと接するのも大好きでした。
私の無類の動物好きは
幼少期から既に始まっていたのでした。
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