最近、メルマガで度々
出てくるキーワード
「自分と向き合う」
今年に入ってミカさんに言われて
「とうとうラスボスと
闘うときが来たかな?」
と、幼少期の心の傷と
向き合う日々を送っております(^^ゞ
どうしてラスボスかと言うと
自分の傷と向き合うのには、
「準備期間」を要するからです。
ある日突然
「そうだ傷と向き合おう♪」と
思い立って向き合えるわけでは
ないのです(^^ゞ
人間にはちゃんと制御機能が
備わっていて、傷と向き合える
準備が出来ていないと、
その傷は表面には現れないように
なっています。
現れないので、気づくことが
出来ず、当然向き合うことが
出来ません。
傷に気づかせないために
記憶がなかったり、
一時的に忘れていたりします。
準備が出来ていないうちに
向き合えば、自分が壊れて
しまうからです。
先日の合宿セミナーでは、
大勢で共鳴し合って、
みんなで癒し合えるので
表面にまだ出て来ていない傷も
制御機能が緩んで
芋づる式にずるずると引き出す
ことが出来ました(^^♪
そんな中で気づいたことが
あります。
それは、皆さんあまりにも
自分を傷つけた相手を
理解しようとしていると
いうこと。
例えば…
小さいころ母親から
言われた言葉で
深く傷ついた時、
「母親も当時大変だった」とか
「母親は愛情のつもりで言った」など
相手にも事情があったのだと
自分に納得させようとします。
これ、実際にやってみると
分かりますが、
「そうだったんだ♪」と
スッキリすることはありません。
極端な例を出すと…
あなたが何も悪いことを
していないのに、
誰かからナイフでお腹を
刺されたとします。
そんな時、相手から
「すみません。間違えました。
本当は、あなたの後ろの人を
刺そうと思っていたんです。」
と言われたとします。
あなたが万が一
「そっかぁ、間違えだったのか♪」
と納得出来たとしても、
だらだら出ている血液が
止まるわけではありません。
まずしなくてはいけないのは
理由を知ることではなく、
血を止めること=傷を癒すこと
です。
では傷を癒すには
どうしたら良いでしょうか?
傷を癒すためには、まず
傷に「気づく」ことが
必要になります。
この「気づく」については
またの機会にお話したいと
思います(^^♪
まず、自分に無理やり
納得させようとしている
ことはないか?
振り返ってみてくださいね(^^)v